2025年8月17日日曜日

追伸 その3

 

   先日14日、茶道裏千家15代・前家元の鵬雲斎大宗匠が亡くなられたという訃報が飛び込んできました。余りにも突然すぎて、瞬間涙が溢れてきました。102歳という年齢を考えれば、いつかその日がやって来ることはわかっていましたが…。

 

 私にとっては雲の上のような存在でしたので、「茶道」の伝統文化を世界に広め、世界平和にご尽力された数多のご功績について、私などが語るまでもないことです。

 

ただ…。

私が茶道裏千家に入門した昭和49年当時の御家元でした。その昔、新潟でご講演をお聴きした折、元特攻隊員でいらっしゃったことや戦争からの生還者であるとのご自身の経験談に魅せられました。凛とした中にも優しいまなざしと信念に満ちたお顔と立ち姿が印象に残っています。

 

お仲間のたくさんの方の死と向き合い、その命の尊さを肌身で感じられたことと思います。平和の大切さを希求し、それを実現するために戦後80年間ご尽力されたご生涯は、余りにも偉大です。

 以前も触れさせていただきましたが…。

保育士として現場にいた頃。子どもたちに「お茶」を通した触れ合いをさせていただいておりました。私にとっては、感謝と幸せのひと時でした。

 

 お菓子やお茶をいただく時は、お次の人(隣の人)に「おさきに(いただきます)」、お茶を点ててくださった人に「いただきます」と挨拶し、飲み終えたら「ごちそうさまでした」と感謝の気持ちを伝えます。

 

相手を敬い、譲り合う心。私が感じている「茶の心」に惹かれ、子育て時期の十数年の中抜き期間はありますが、50年余りの歳月、お茶のお稽古をさせていただいてきました。

 

 そんな折、昨日土曜日はお茶のお稽古日でした。前御家元が亡くなられた喪失感と悲しみを先生と社中の方と共有したいという思いで参加させていただきました。

 

先生の思いは、私の想像をはるかに超えていました。大宗匠を偲んでの追悼の献茶が設えられていたのです。「(僭越ながら)さすがに、先生は凄いです」奥深い思いに感動しました。昨年の元旦に起きた能登半島地震後、社中での初点式(初釜式)でも被災されて亡くなられた方々への献茶式をご用意されていたことを思い出します。

 

千利休が説かれた茶道の「和敬清寂」の精神が息づき引き継がれていると感じました。

 

保育とは全く関係のない話のように感じられたかもしれませんが、私の中での「平和を願う心」「未来社会の平和と子どもたちの幸せな社会」と鵬雲斎大宗匠の思い「一盌(いちわん)からピースフルネスを」が、一つに繋がっていると思うからです。

 

「子どもたちの育つ社会が平和で明るい未来でありますように」を切に願って、三度追伸を書かせていただきました。



「献茶」
大宗匠への薄茶一服を点てるにはおこがましく、
お床への献茶を捧げさせていただきました。光栄なことでした。
先生と共に社中の方々とご冥福をお祈りしました。